世阿弥 著 『風姿花伝』
『第四 神儀』
(現代語訳)
日本では欽明天皇の頃、壺の中に入れられた嬰児が奈良の初瀬川を流れ下ってきた。
三輪の神杉の鳥居の所でその子を取り上げると、帝の夢に子供が現れ、自分は秦の始皇帝の生まれ変わりだと告げた。
帝は秦という姓を与え、臣下とした。
これが秦河勝(はだのこうかつ)であった。
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この秦河勝が、我が金春流の初代。
秦河勝公より、現在まで1,400年。
その子孫末裔であり81代目の宗家が、我が現金春流宗家・金春憲和師です。
憲和宗家は、昨日、外国人留学生に向けて、『私の祖先は、中国からやってきたのです』とはっきりと語りかけておられた。
いわゆる「秦氏」が、渡来人であることは、歴史好きな方でしたらよくご存知かと思います。
そして、明治維新まで、この「秦」姓が歴代金春宗家は本名であられたことを、近年憲和宗家から直接お聞きしました。
能は、日本の古来の宗教・文化・芸能のみならず、大陸からの外国の宗教・文化・芸能もミックスさせて出来上がった、『ハイブリッド』な芸術・芸能です。
決して原理主義的なものではない、『おおらかな』思想が、金春宗家の根底にはあります。
それは正に、我が流派の故郷・奈良の雄大で悠久な山々のような心なのです。
金春宗家の存在自体が、この現代の『和平への象徴』となり得るのではないかと、私は思うのです。