本日、3/17土曜、円満井会定例能にて、能「鵜飼」のシテを勤めさせて頂きます。
円満井会定例能
矢来能楽堂 12:30開演
能「田村」 岩松由実
狂言 「太刀奪」 大藏彌太郎
能「角田川」 梅井みつ子
能「鵜飼」山井綱雄
鵜飼の老人の悲哀、閻魔王の躍動、、、云々の前に、久し振りに自分に対して腹が立っておりまして、そのことは、今日の舞台の上で、キッチリと晴らしたいと思っております。
全ては舞台の上で。舞台の上で証明します。
どうぞ宜しく御願い致します。
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鵜飼
所は、甲斐国 石和。石和川にやってきた旅の僧(ワキ)は、夜な夜な怪しい光り物か出るという宿に泊まり、そこは自分の家だと主張する鵜飼いの老人(前シテ)と出会う。
僧は殺生を続ける鵜飼いを止めて他の仕事をするように勧めるが、老人は生きていく為の生業なので仕方ないと話し、実はこの殺生禁断の地で鵜飼いをし密漁をして殺されたのは自分だと明かし、その時の罪を償うために、当時の鵜飼いの有様を再現してみせる(「鵜ノ段」)。
愉しい鵜飼いを再現するが、闇がこの老人を包み込み、この闇に迷うこの身を嘆いて、消え失せる。
やがて弔う僧の前に、閻魔大王(後シテ)が現れ、鵜飼いの老人が僧に宿を貸したという善行を行ったことにより、この老人は極楽へ送られたと告げる。そして、力強い舞を見せながら、法華経の功徳を説くのだった。
生計の為に殺生を続けた老人の運命の非情さ。生きていく為には仕方なかった罪。それを死後の世界でもその業を背負い続ける悲惨さ。鵜飼いの有様を再現してみせる「鵜ノ段」という場面で、その人生の悲惨さが舞い語られる。扇と松明で鵜飼いの様子を再現するこの場面は見どころ。
『人間は生きているだけでも、罪深いものなのかもしれない。』そんなことを問い掛ける、「阿漕」「善知鳥」に連なる執心物の傑作。
しかし最後には、この老人は救われる。最後に何処かに必ず『救い』があるのも、「能」ならでは素晴らしさである。 (綱雄)