能「盛久」の中で、処刑される為に護送され鎌倉に着いた盛久が、幽閉先で呟くのが、この言葉です。
『夢中に道あって 塵埃(じんない)をへだつ』
訳:夢のようなこの世にも仏の道があって、これに入れば一切の俗塵から離れることが出来る。
ある方から、この『夢中』が、『無中』であることをお聞きしました。
無の中に、道がある。
あの世に行ってからも、まだ先があるのだ。
「夢」が「無」に一文字入れ替わるだけで、大きく意味が広がります。
死を覚悟し、受け入れてその時を粛々と待つ、盛久。
死というものが、いい意味でも悪い意味でも遠い存在の我々現代人には(少なくてもまだ年代的に命の終わりを実感し難い私には)、計り知れない感覚です。
『無中に道あって 塵埃(じんない)をへだつ』
主馬八郎左衛門盛久の生死感。
潔いサムライ・盛久の生きざまを追体験出来ることを、愉しみにしています。
愛知県豊田市の豊田市能楽堂主催公演 さつき能、能「盛久」、いよいよ、明日です!
本日は、申し合わせ(唯一の全体リハーサル)。
お相手頂く三役の皆様は、普段中々ご一緒出来ない名古屋の方々です。
そして、お客様も東京からお越し下さる方々がいらっしゃるとはいえ、「山井綱雄って誰?」という方々が殆どかと思います。
そして、やはり能のシテという役は、特別です。
更に、能「盛久」自体大曲で、しかも我が流派金春流ではかなり久し振りの上演となります。
先ずは、本日の、申し合わせ。
しっかり、頑張ります!!