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Channel: 能楽師・山井綱雄の~日々去来の花~
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祖父のお弟子さんとのお別れ

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今日は、月一のいわき市での日帰り弾丸稽古。





今日は、私は静かにある方に対して、盃を上げました。




今日の昼間に、1通の手紙が届きました。
手紙の主は、私の能楽師であった祖父のお弟子さんであった、Oさんの奥様からでした。

その方が、今月の4日に、大往生を遂げられたことが書かれていました。


能楽師であった祖父・梅村平史朗には、祖父を慕って下さる多くのお弟子さん達がいました。
祖父は、別にいわゆる能楽名家の出でも何でもなく、能楽師になった人でした。
それ故、苦労も多く、その祖父の恩恵で、今、多くの舞台に立てている私とは違い、能楽師としてはどちらかといえば不遇であったと思います。
しかしながら、祖父はそれなりに人間的には魅力的だったようで、祖父を心酔する多くの弟子に恵まれました。

Oさんも、そんなお一人でした。

かつて存在していた、東大金春会出身で、そのサークルにて師範をしていた祖父と出会い、ご自身はお役人として霞が関で永年お勤めをしながら、能楽を愛好されました。

私は、祖父の芸を知りません。
昭和の3名人と讃えられた櫻間弓川先生の弟子として、櫻間の芸を伝承した祖父の芸は、祖父の玄人弟子であった富山禮子先生が、私に伝えて下さいました。

また、私は、高校生、そして大学生になってから、多くの祖父を慕って下さったお弟子さん達から、色々なことを教わりました。

もし、私のことを評価頂けることがありましたら、それは、多くの方々からの教えのお陰なのです。

そんな中で、Oさんは、私にとって最も思い出深く、お世話になった方でした。

東京の下町の台東区谷中に、感応寺 という、やはり祖父のお弟子さんがご住職を勤められていた由緒あるお寺に、祖父は今、眠っているのですが、そこで、約20年前、月に2回、祖父のお弟子さん達が集まる会がありました。
そこでは、毎回、謡を素謡で丸々一番、謡うのです。

すると、梅村先生はここはこう謡えと仰っていた、とか、皆さんで祖父の思い出話に花が咲くのです。
そんな話を、私は側でお聞きしていました。

そのあとは決まった小料理屋に行き、一杯やるのが定番でした。

私もこの時に、随分と二十歳の若造が聞けないようなお話や、祖父の思い出話もそうですが、様々なお話を伺いました。

今思えば、このときの体験が、私の人格や諸々を形成するに大きな影響を与えたと思います。

私は、多くの祖父のお弟子さんにお世話になりましたが、最大にお世話になった方が、Oさんでした。


ここ近年は、おみ足を悪くされて、私の舞台にもお越し頂けなくなっていました。
なので、しばらく、お会いしていませんでした。


しかし、今思えば、今月の10日位に、家の中で探し物をしていて、その時に、私が大学生の時に撮影したと思われる、Oさんとの写真が、ポロッと出てきて、「Oさんは、お元気だろうか?」と思ったところでした。

あの時に、Oさんは、私にお別れをしに来てくださっていたのですね。。。


心より、ご冥福をお祈り申し上げます。

あちらでも、また祖父を宜しくお願い致します。

来月、金春会で、能「海人」を舞うのですが、Oさんへ捧げる舞台にしたいと思います。

私の心は今、深く沈んでいますが、明日から、また頑張ろうと思います!!



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