野村幻雪(四郎)先生がご逝去されました。
こんな私でも、強い衝撃を受けています。
(私みたいな他流の門外漢が語るのは大変に烏滸がましく、直接沢山指導を受けられた沢山のお流儀能楽師の皆様にご遠慮をとも思いましたが、どうしてもとの想いが湧き、このような門外漢の言葉をお許し下さい。)
つい先日も、楽屋で御会いした際に、『君ともまた色々語り合いたいね!』ととても気さくに私にもお声掛け頂いたばかりでした、、、
かつて、ある企画でインタビューをさせて頂いた機会に恵まれました。
沢山のお話をお聞かせ頂きましたが、狂言方の名門野村家として15歳まで狂言方として修行、それから観世ご宗家の門を叩き、若い頃の壮絶な修行の日々のことのお話が、強く印象に残っています。
「『今にみておれ。今にみておれ』。その心は、今でも、私の心にあるんだよ」。
柔らかい笑顔で、胸に手を当てられながら、そう話されました。
ここまで能楽師として大成された四郎先生でも、まだまだハングリー。
そして、そのご苦労と人の何倍も重ねられて来られた努力が、四郎先生の体内に芯としてグッと貫かれ、それが、舞台での四郎先生のあの大きさと柔らかさとしなやかさ美しさに繋がっていたのだと思います。
四郎先生は、権威主義というのとは無縁であったと思います。
いつも、誰にでも、分け隔てなく、気さくにお話かけられ、そして、柔らかい、笑顔。御会いすると、いつも、笑顔。
だから、沢山の能楽師に尊敬を集めておられました。
四郎先生が楽屋に現れると、空気が変わる。
でも、四郎先生はとても気さくで自然体。
正に能楽師の鑑でした。
かつて、四郎先生が山本東次郎先生と櫻間金記先生とお三人で、長台詞の三人芝居を国立能楽堂でされたことがあって、拝見に伺い、当時その後に現代劇オペラへの出演が決まっていた私にとって色々と迷いと悩みがありました。
そんな中、四郎先生は能と芝居の使い分けというか、バランスというか、能と芝居をいったり来たり自在にされていて、とても目が覚める想いをしたことがありました。
そして、櫻間金記先生の能「大原御幸」の法皇として出演されたことがあって、私は地謡を必死に死にもの狂いで謡いながら 、慈悲深い愛のある法皇で、大変な緊張感のある舞台の上で、とても印象深く記憶に残っています。
インタビューの際に、四郎先生のご著作にサインをお願いしたら、
『是非 初心不可忘 』
と書いて下さいました。
一生大切にします。
野村幻雪(四郎)先生のご逝去に謹んで、ここに想いを記させて頂きます。
こんな私にも、優しく接して下さり、いつもお声をかけて下さり、ありがとうございました。
四郎先生の芸と教えは、沢山の能楽師に受け継がれていきます。
私も想い出を胸に、精進して参ります。
合掌。