大切な仲間が、間もなくこの夕刻に、本当に天国へ召されます。
狂言方大蔵流 善竹富太郎くん。40歳。
彼を最初に知ったのは、私もまだ10代の頃。弟の大二郎君ともまだ小学生位だったと思います。
私の能楽の母、富山禮子先生と、富太郎くんの父君・善竹十郎先生が同じ早稲田大学金春会で金春流を学んだ縁で、富山先生のお素人会には、いつも十郎先生がご出演されていました。
今思えば、その素人会での狂言を、まだ本当に小さかった富太郎くん大二郎くんが、勤められました。
私も当時高校か大学前位だったかと思います。幕開けで、後見の父君十郎先生がとても厳しくて、富太郎くん大二郎くんに、よし!行け!と背中を叩いて、合図して、二人は続いて並んで舞台へ出て行きました。
狂言は、とても健気に、可愛らしかったのが印象的でした。
その後、沢山の舞台で一緒しました。
とても社交的で、人なつっこくて、愛嬌がありました。
十郎先生譲りの、本人は普通にしてるのに、プッと吹き出してしまう、というような(笑)。
昔になりますが、観世喜之先生の古稀記念の乱能(らんのう 本来専門パートに別れている能楽師が、自分の専門以外のパートを勤めて能をする形式のこと。乱能では、お笑いおふざけがありなんです。勿論真面目にやる能楽師もいますが)が、国立能楽堂で、盛大に行われました。
そ
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の最後、オオトリを勤めるのが、十郎先生、富太郎くん、大二郎くん親子による、能「船弁慶」でした。
富太郎くんは、義経役でした。
楽屋で、観世九皐会の皆さんに装束を附けられる、富太郎くん。
楽屋で、観世九皐会の皆さんに装束を附けられる、富太郎くん。
全て白の、それはそれは、立派な装束でした。
フル装束着た富太郎くんが、「綱雄さん、ヤラレましたよ~!」というので、「何で?!スゲー立派じゃん」と言ったら、「違いますよ~~!これこれ!!」と、富太郎くん言いながら、腰に差している太刀を抜き、私の目の前に掲げました。
それは、子方用の太刀(笑)。つまり、ものすんごく、短い(笑)。
ものすんごく立派な装束に、ものすんごく、短い、太刀。
しかも、富太郎くんは体格がふくよかだったので、余計に可笑しくて、私は大爆笑(笑)。
富太郎くんは、「ハメられましたよ~~」とか言いながら、悠々と舞台へ。
そこからは、富太郎くんの独壇場(笑)。
「そーのーとーきーよーしーつねー 、すーこーしーもーさーわーがーず~」の謡も、子供みたいな甲高い声で謡い(笑)、
大海原という設定なのに、制止する弁慶役の大二郎くんを振り切り、船から降りちゃうし(笑)、
最後は、シテの十郎先生をやっつけて、すんごい短い太刀を、これみよがしに客席に、どや顔でかざして、お客様からは、割れんばかりの大歓声と拍手喝采(笑)!!
御簾で観ていた出演能楽師からは、「富太郎がぜんぶ持ってちゃったなぁー」という声が漏れて、裏でも大爆笑でした。(笑)
また、「綱雄さん、呑みましょうよ!」と、富太郎くんとサシで呑んだこともありました。
あのときは、お互いすんごく呑んじゃって酔っ払ちゃったのですが、色んな話で盛り上がりました。
「綱雄さんと話してたら、色々刺激になったし思い付きましたよ。なんか面白いことやりましょうね!」
なんて言ってくれました。
なんて言ってくれました。
現代の能楽師は、それ程大きくない『能楽丸』という船に同船し、同じ明るい未来を目指す同志だと思っています。
彼の、あまりにも突然の、若すぎるお別れに、私達能楽師は、とてもとても強く強くショックを受け、悲しみ深くいます。。。。、
同世代能楽師は、尚更です。
十郎先生、大二郎くんの気持ちを想いますと、胸が痛みます。
しかし、我々は、下を向かず、前を向いて、これからも富太郎くんと共に、能楽の未来を歩きます。
誰にでも愛された富太郎くん。
君の分まで、僕らは頑張ります。
今、16時です。もうすぐ、本当に天に召される善竹富太郎くんに、祈りを捧げてください。
私も、祈ります。
合掌。
(写真、拝借させて頂きました。すみません。)